【仏教の教え】~ 一水四見 ~ 立場が違えば物事は全く違って見えるもの

為になる仏教の教え

今日は為になる仏教の教えのご紹介♪

一水四見
(いっすいしけん)

という言葉が仏教にあります。

同じものでも、見る者によって
見方が変わるということ。

私達にとっては『』に見えるものでも、

人間が見れば『』であっても、

餓鬼が見れば『』の河や
身を焦がす『』であり、

天人が見れば『宝石』で輝く池であり、

が見れば『住みか』と捉えます。

人間 → 

餓鬼 → 血(炎

天人 → 宝石で輝く池

魚 → 住みか

これは、同じ物事であっても、
立場や境遇が違えば見え方や感じ方も
全く異なるということを教えています。

たとえば仮に、目の前で子供が転んで
大泣きしていたとします。
その隣にいる母親が
すぐに子供を抱き起こしたのを見て、

優しい母親だと捉える人もいれば、
過保護だと捉える人もいるかもしれません。

逆にもし、泣いている子供を母親が
抱き起こさなかったのを見たら、

ひどい母親だと捉える人もいれば、
子供が自分で起き上がれるのを信じて見守る
優しい母親と捉える人もいるかもしれません。

何を『優しい』と捉えるかも、
人それぞれ違うんですよね。

例えばもし、
彼からのLINEの返事がいつも
スタンプや短文ばかりと
嘆く友達の話を聞いたなら、

ひどい彼と捉える人もいれば、

男性ってそんなもんでしょ
と捉える人もいれば、

毎回返事してくれて素敵な彼
と捉える人もいるでしょう。

 

例えばもし、子供が手作り料理は
あまり食べてくれないのに
コンビニのおにぎりは食べると
嘆いているママ友の話を聞いたなら、

わかるそれ辛いよね
と共感する人もいれば、
食べてくれるだけありがたい
と捉える人もいれば、

楽ちんでいいね
と捉える人もいると思います。

例えばもし、
マザーテレサのような人を見たなら、

なんて素晴らしい人
だと捉える人もいれば、

偽善者みたいと捉える人もいれば、

誰その人?
とそもそも無関心の人もいるでしょう。

私たちが当たり前だと思っている事は
自分のこれまでの行いや経験によって
創られた価値観を基準にして判断しています。

まったく同じ人はひとりもいません。
だから自分にとっては当たり前でも
相手にとっても当たり前とは
限らないんですよね。

みんな違って当たり前。

だからこそ知りたいと思うし
認めあえるし支えあえるし
得手不得手も補いあえるもの。

みんな違うからこそ
合う人もいれば合わない人もいるし、
この広い世界の中でいろんな人に
出逢えること自体が奇跡なんだ照れ

だからさ、違いを否定するよりも
違いを肯定して(受け入れて)
楽しんじゃった方が
純粋に面白いと思うんだよね♪

みんな違って当たり前だし
みんな違っていいって
認めちゃえばいい♪

違うから辛いと思うのか、
違うからこそ面白いと思うのか。

先がわからないことを
不安と捉えるのか、
先がわからないからこそ
面白いと捉えるのか♪

見る人次第で
見方(捉え方)は変わると同時に、
いろんな見方があると知った瞬間から、
どんな見方を採用するのかも自由♪

あなたならどう捉える?

あなたならどう感じる?

あなたならどう受け取る?

あなたの世界は
どんな色をしていますか♪

今日もいっぱいありがとう^^

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